主 now The きく♥みみ&たび ●永季の思い出 -父がいた頃-
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父の四十九日を終えて

明けましておめでとう、と書いてから、ずっと更新が途絶えてから、季節はすっかり春。
いつのまにか春、でした。

きく&みみ、元気です。

ですが、きく&みみを孫のように可愛がってくれた父が、1月26日に亡くなりました。
享年79歳でした。

四十九日を済ませた今も、まだ入院しているような気がして、いつかケロッと帰ってくるような気がしてなりません。

この3ヶ月は、あっという間に過ぎていきました。

文章が支離滅裂かもしれませんが、今のうちに、父のことを書いておこうと思います。
そして、明日からは、きくみみにとって、生きているような<天国のじいちゃん>と書けるように。

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思い返せば、正月休みに実家に行った時、父は頻繁に咳をしていました。

風邪や、喘息とは違う・・結核でもない、なにか、そういった単発的に出る苦しげな咳とは違い、
小さなうなり声が、咳に合わせて出るような、尾をひくような咳でした。

私は非常に気になって、帰りぎわ、難聴の父に筆談で、
 『お父さん、ヘンな咳してる。苦しいでしょ。この連休が終わったら、病院へ行って診て貰ってね。
また倒れて入院になったら嫌でしょ。必ず行ってね、約束して。
でなきゃ、私もお父さんとの約束は守らないよ』と、書いて見せました。

父は
『別に苦しくはないよ。だけど、悪化したらみんなに迷惑をかけるからな、病院へ行ってくるよ』と。

あの咳は、いつから出始めたのか・・苦しいに決まっている。
きっと、放っておいたのでしょう。

4年前・・2011年の時も↓

http://blog.seesaa.jp/img/bg/toypoodle/title.gif'); background-color: #faf8e9; background-position: 0% 50%; background-repeat: no-repeat;">きく便り -実家にて-

倒れるまで病院へ行かない父でした。
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正月連休明け、私との約束を守るべくして、父は、母に付き添ってもらい、実家から30kmくらい離れた大きな病院へ検査に行きました。
その病院では、過去にペースメーカーも付け、難聴の治療もしていましたが、いかんせん・・実家から遠いのです。

そして、検査の結果、肺に水が溜まっていることが解り、入院することに。
入院中にも、その他の臓器をあちこち検査した結果、他の臓器もボロボロになっていたそうです。
どうやら、糖尿病からの、余病の悪化でした。

父は、数年前に、地元の病院で糖尿病だと診断されたはずなのに、食事療法を守らず、好きなものを食べていたようです。
母は、頑固な父の言うなりで、言われるがまま、父の好物を食卓に並べていたのでしょう。想像がつきました。
老老介護気味で、父の介護を母ひとりに任せた私が、母を責めることはできません。

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入院した日に、夫と見舞いに行くと、父はベットの隣にあるロッカーに入れた下着を、まめまめしく整理していました。
咳は収まったようで、顔色も良く、元気そうでした。

父 『来週には退院できるよ』
私 『そう、良かったね。もし入院が長引くようなら、お母さんがヒトリになるから、また泊まろうと思っていたの。大丈夫そうね』
父 『大丈夫だよ。ありがとな』

その一週間後の土曜日の夕方、妹からメール。

『お父さんね、危篤ではないけどICUへ移動した。様態が安定したら、また一般病棟へ戻るらしいよ。暫くは入院だね』と。
え?
ICU???
あんなに元気そうだったのに???

そこには面会時間も書かれていました。
1日3回、10分間だけの面会。

翌日、私と夫は、きく&みみを連れて、実家に泊まる用意をして、病院へ行ってみると・・
父は別人のように弱っていました。
手足と胸に、チューブと点滴、数か所に医療器具が付けられ、ベッドがモニターに囲まれていました。
体は、動かないようにベットに固定されていました。

どうしたの!お父さん!
どうして、こんなに弱っちゃったの!

父は、夫に、
『見てくれよ、こんな状態だ(^^ゞ、なんだかなぁ・・。いろんな装置があって、わからん。それはなんだ?その装置は』
と、口をきくのもやっとでした。
夫は、自分の鞄から筆記用具を出し 『無理に話さなくていいですよ、疲れますから』と書いて見せたあとに、父の聞いた<装置>が血液透析だと知って、私の顔を見ました。
夫は目配せで、私に<透析のことは、まだ言うな!>と伝えました。
確かに、<血液の透析>に偏見のある(恐ろしいことと思い込んでいる)父には、言えません。

父は、起き上がれないので、全ての医療機器が見えず、人口透析を受けていることに気付いていませんでした。
私達は、最後の質問は聞きそびれたフリをして、話題を変えました。

『お父さん、きくは、今日も、お父さんを探していたよ。じぃちゃんは?と聞くとね、お父さんの座っている椅子を見てる』と書くと、
父は声を出して笑いました。
『きくは、可愛い犬だよなぁ。早く、きく達に会いてぇなぁ』


何も言えず、父の様子を眺めているうちに、10分間が過ぎ・・。
慌ててメモ用紙に筆談で、
『私ね、今日から実家へ泊まるから。明日、妹の仕事が終わったら、一緒に来る。頑張ってよ』
と書いて見せると、父は小さく頷き、手を振ってくれました。

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こんなことがありました。

三女が来て、珍しく娘3人と母と、みんなで父のところへ面会に。
父は寝ていました。

貴重な面会時間ですから、起こさずに帰っては、がっかりすることでしょう。

妹が、小さな声で『お父さん』と声をかけると、聞こえないはずの父がパッと目を覚まして、ひどく驚きました。
そして大声で、『ここはどこだ?どこだ?』と言うので、私達は、それぞれ人差し指を口にあてて見せて、静かに!と父に合図しました。
父は病院だと解ると、
『ああ驚いた!お前らが全員いるから、俺は死んだのかと思ったよ!本当に驚いた。
ああ良かった・・・俺はまだ死ねないからな』

すると妹(三女)が、普通に呆れて言いました。
『何言ってるの、お父さん。お父さんが死ぬわけないじゃん!』と。

それを聞いて、私も母も次女も、不謹慎ながら、ICUでクスクスと笑ってしまい。
父が『なんだ?何か、おかしいか』と聞いたので、三女の言葉をそっくり書いて見せると、父も笑いました。

いつか、笑い話になるような・・そんなことを言ったのです。
本当に、あと何年かしたら、あの時の父の驚きようと、ホントに逝ってしまったことが、冗談のようで泣き笑いになるでしょう・・
今でも、父が逝った気がしないから、そんなことを書けるのかもしれないけれど・・

父には、まだ死ねない理由がありました。
それは、私が、父との約束を果たすまで。

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父の様態は、一進一退で、元気な時もあれば、口をきくのもやっとの時もあり、けれど、元気な日の時が多かったです。

父が言っていたこと。

先生(担当医)が来るときは、自分は寝ていることが多いらしいが、寝ているのではなくて、目を閉じているだけ。
だけど、声をかけてもらっても、耳が聞こえないから、寝ていると思われてしまう。
目を開けていないと、起きていることが伝えられない、声もかけてもらえないから、
夜中も眠れなくなってしまったよ。

先生に、今の自分の状態を聞いたけど、なんだかよく解らない話だった。治らないのに治療するのか?
何のために、このチューブがついているのか・・これとか、あれとか・・何の点滴薬なのか知りたい。
一番知りたいのは、一般病棟に移れるのか、それはいつか・・美月、先生に聞いてくれないか。

すでに、母と妹は、担当医から父の体のことを聞いていて、私も母からそれを聞きましたが・・
今の父に、それをストレートに伝えるのは残酷なことでした。

肝臓、腎臓・・全てが、もう、治しようもなく悪い状態だったそうです。
医師は
『患者さんは、今まで相当な痛みに耐えてきたはずで、よほど我慢強くて気力のある人なのでしょう。
今は、痛みは軽減されています。けれど、起き上がって歩けるようになるのは(無理かも)・・とにかく最善を尽くしましょう』
みたいな話をされたそうです。

もう、治療するには手遅れで、治らないけど、気力で持ちこたえるかもしれない・・ということだったのでしょうか。

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最後まで、父には話せませんでした。
絶望感しか与えない話なら、しない方がマシと判断して、大嘘をつきました。
一般病棟が満員で、空いてるベットが無いから・・空き次第、移れるみたい、と紙に書きました。

父はそれを眺めて、
『なら、ここの方が安全だな。みんなが(看護師さんたち)起きてるし・・だけど、治療費が心配だな』と笑いました。
それから母に、『お金は足りるか』と聞きました。
母は、怖い顔で『充分足ります!病人のくせに、余計な心配しないで!』と言った後、聞こえない父に『大丈夫。心配しないでください』と書いて見せていました。
・・・

お正月の三が日は、しっかり歩いていた父でした。

私が、咳さえ気にしなければ・・・
病院へ行けと言わなければ・・・

もう少し長く生きていたはずでした。
自然に任せて、生きていたはずです。

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父は、起き上がることもできず、ICUに10日間、寝かされていました。
今にして思えば、死と隣り合わせでいた父の不安は、半端なかったことです。

10分間の短い会話でも、父は、時々、きくとみみのことを聞いてきました。

『きくは、俺を探しているか?みみは、どうしてる?』
『うち(実家)は寒いだろう、きくとみみに、俺の毛布をかけてやれ』
『今年はサツマイモをたくさん作るよ、アイツらの大好物だからな』

父が、きくとみみを気にかけてくれたことを思うと、辛くて書けなくなります。
きくとみみの話で、あっというまに、面会の10分間が過ぎていきました。
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ICUにいた父の姿を思い出すと、本当に申し訳なさで心が苦しくなります。

たとえ、内臓の機能が限界だったとしても・・
それを寿命とか老衰とか、79歳という年齢なら、そう言いかえることができるとしても・・・

どう考えても、私が父の寿命を縮めたようなものです。
あんなに一気に弱ってしまうとは・・
弱った原因は、明らかに、生きる気力も奪う不安感でした。

もし、病院へ行かなければ、父は家で倒れて、そのまま<家で死ねた>かもしれない・・それは父の本望でもあり。
もし、家のなかで、或は庭先で倒れて、母が不在で、誰にも気付かれずに、苦しみながら逝ったとしても・・
それは父が望む死に方だったことです。
それでも私達は、もっと早く病院へ連れて行けば良かったと、可哀想なことをしたと、後悔することでしょう。

どっちに転んでも、悔いは残ります。どっちに転んでも、納得しないことなのですね。

だけど、私は、余計なこと言っちゃったのですね・・。
約束を守れ、だなんて。


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もう少し、父の話を書かせてください。

ガンコ親父で、怖いものなしに思えた父でしたが、最後の最後は、幻覚を見て怯えていました。

父にとって、ICUでの治療は、初めてではないにしろ、長すぎました。
意識不明でICUに居たなら、時の長さも解らなかったことでしょう。

父は、毎日、自ら先に日付を言っては、私達に合っているかと、確認していました。

なぜ、日付を確認しているのか、その時は解りませんでしたが、
今なら解る気がします。
恐らく、自分が平常心でいるか、日付で、確認していたような気がします。

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亡くなる2日前に、おかしなことを言いました。
その日は土曜日で、実家に夫が来たので、夫と二人で病院へ。

父は、目を開けて天井を見つめていました。
私達に気付くと、悔しいような泣きたいような顔になり、
『それ、そこの赤いチューブはな、俺の血だよ。とうとう、透析だよ・・・』と言いました。

え・・お父さん、先生から聞いたのね・・
ICUに入ってから、ずっと透析をしていたと、知ったのね。

『これじゃ、もう、畑仕事はできないなぁ、いよいよ、俺も弱ったんだなぁ』と。

それを聞いた夫は、すかさず紙を出して、文字を書きはじめました。

『僕の知り合い、50半ばで透析している人がいます。
透析は疲れるみたいですが、ちゃんと仕事もしています。
体も動かしています、透析は血が綺麗になっていくんです。
大丈夫です。これくらいで済むなら頑張りましょうよ』と素早く書いてから私に読ませ、
それから父に渡しました。

父が、それを読んでいる間、私は、夫の書いてくれた言葉に、感謝の気持ちで目頭が熱くなりました。
けれど、父に誤解されてはいけないから、素知らぬふりで目をこすり、モニターを眺めるふりをしました。

すでにICUで9日目を迎えていました。
長丁場になってきた、と思いました。

その時です。
父が、おかしなことを言ったのは。

『美月、今まで言わなかったけどな、天井に、たくさんの人の顔が見えるんだよ。
顔が、ぐるぐる回っていてな、みんな俺を覗き込むようにして見ているんだ。
その顔が気持ち悪くてなぁ。あれ、あそこに見えないか?』
と言いながら、そろっと右手を出して、天井を指さしていました。

絶句でした。

意識もしっかりしている父が、天井を眺めながら怯えているようでした。
私も怖くなってしまい・・とっさに、夫が書いた紙の裏に、
『お父さん、それは薬のせい。点滴をいっぱい付けているから。
私も入院した時に、幻覚を見た!
だけど大丈夫!
薬のせいで見えるのよ。見えているのは今だけ!治れば消えるから気にしないで!』

父は、私の書いたそれを半分くらいしか読まずに、諦めたように言いました。

『幻覚なのか?今もはっきり見えているよ。・・・そっか・・お前には見えないのか』と。

いつから、そんな恐ろしいものが見えるようになっていたのか・・。

父の様態は、とりあえずは安定(良くも悪くも変化なしという状態)と、看護師さんが言っていました。
このまま暫く入院しているなら、一度東京へ戻ろうかと思いました。

その日は、夫も実家に泊まることになり、翌25日に、私も戻って、また来週に来ようと決めました。

翌日、父に会ってから帰ろうと、昼の面会時間に合わせて行きました。
筆談で『お父さん、今のところ安定してるって先生が言ったから、私は今日、いったん帰るね。また来週来ます』と書いて見せると、父は、
『そっか、ありがとうな。あのな美月、俺はジュースが飲みたい。帰る前に買ってきてくれないか、一口だけでいいから、飲ませてくれ』と。

ジュース?・・糖分多いよ・・

夫が、そばに居た看護師さんに聞こうとすると、父が『あのな、一口ならいいって先生が言ったんだよ、買ってきてくれ』と。

先生が一口ならいいって?・・言うわけないでしょう。
自分の都合のいいことを調子よく言いだすのは、父らしい、と思いました。

元気な父らしい言葉だ、と思って安心した反面、子供の頃に聞いた、友達の話が浮かんできました。
小学生の頃、近所に住む同級生のお父さんが亡くなった時、その子が話してくれたこと。
『最後に、ジュースが飲みたいって言ってね、お義母さんがあげたんだって。
・・したら、むせてしまって、死んじゃった。お義母さんが殺したようなものだって、親戚みんなが言ってる』

そうだ、その一口が命取りになる・・・今飲ませてはダメ。

父は、一生のお願いだから、みたいな懇願顔で何度も言いました。
『ジュースが飲みたい。一口でいいんだよ。あとは持って帰ってくれ。内緒で飲ませてくれ・・』と。
私は、何度も首を横に振りました。

夫が紙に、
『ジュースは糖分が高いから、今はまだ無理ですよ。お水を持ってきます』と書いて見せると、声をかけた看護師さんが来て、
父の耳元で、『ジュースはまだ飲めませんよ、お茶ならいいですよ。お茶にしますか』と聞いてくれました。

父は、無念そうな顔をしましたが、夫に、『水をくれ』と。

私が<水飲み>を渡すと、一口飲んで、目を閉じてしまいました。
明らかに、不満と苛立ち、怒っている感じでした。それとも、痛みだったのか・・また幻覚が見えていたのか・・
なかなか目を開けない父でした。

父の血液透析の医療器を見つめていると、無性に、父は死ぬかもしれないと思えてきて、怖くなりました。
そして、このままでは帰れない気持ちになりました。
もし、父が怒っているなら、<飲ませられなくて、ごめんね>くらい言ってから帰ろう・・


10分間が過ぎて、退室を促されました。
夫が『終了だって。出た方がいいよ』と。

私は、父は必ず目を開けると思って、見ていました。
そして、目を開けたのです。
その顔には、もう怒りはなく・・
私は<また来週来るね>と、手を振りました。
父は、いつも帰るときに右手を少しあげてくれましたが、その時は、右手が出せなかったのか、左手をあげて、手を振ってくれました。

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病室を出たとたんです。
父が左手で手を振った姿が浮かんできて、違和感からか、あれは最後の姿じゃないかと思えてならなくなりました。

自然と涙があふれてしまい、病院の1階にある外来用のベンチに座って、項垂れていると、涙が溢れて止まらなくなりました。
俺は死ぬから、後を頼んだよ、泣くことはない、泣くな、と、父がそばで言っているような、悲しくてやりきれない気持ちに襲われました。
あの時の気持ちは、どう説明していいか解りませんが、はっきりと、父が去っていく感覚が伝わってきたのです。
やはり、もう一週間、実家に居ようか・・
いや、また元気になる!この前も、寝たきりになるかもって覚悟を決めていた時も、元気になって、歩けるまでになったじゃないか・・
だけど、さっきの、あの父の様子は、なんか違う気がする・・。

どうして泣けてくるのだろう、涙が出るのだろう、どうして・・
・・東京の自宅に戻るまで、車の中で(その時間は生きていたはずなのに)涙が止まりませんでした。

その晩の明け方、父は急変して亡くなりました。
東京に戻って、12時間も経たぬうちに。

明け方の電話のベルを聴いた時、私にしては異常なくらい冷静でした。

私達は、危篤の知らせを聞いて、すぐに駆けつけましたが、死に目には会えませんでした。
実家にいた母でさえ、会えませんでした。
東京に戻らなくても、会えなかったのです。
家族は誰も、看取れなかったのです。
そういう宿命、運命だったのでしょう。

私と夫が、最後の面会者となりました。
私は、父の言葉を聞けた気がします。

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意識のしっかりした人が、ICUに長居すると、幻覚を見ることが珍しくないそうです。
それがICU症候群と知ったのは、父亡き後の、最近です。
気丈な父が、幻覚を見たとすれば、気力も失くし(精神的に)限界だったのでしょう。
ICUで体の治療は医師に任せていたのだから、私達は、父の心のケアを・・・
もっと、心を支える、気力となる言葉をかけてあげれば良かったと・・・後悔ばかり。

父が最後に教えてくれました。
・・・・・・・・・・・・・

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供養の気持ちで綴りました。
命がけで、父は、私との約束を守りました。
父が病院へ行った以上、私も、父と交わした約束を守らなければ。

父は、きくとみみのことも、孫のように可愛がっていました。
お父さん、ごめんなさい。ありがとう。
ゆっくり休んでください。



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冬のモンシロチョウ☆彡

あっという間に年が明け、あっという間に新年1月13日です。
今年もマイペースで更新致します。どうぞ宜しくお付き合い下さいませ☆彡
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3日に、実家へ行き、母から家庭菜園で収穫したキャベツと白菜を頂いてきました。
無農薬なので、キャベツには青虫とかいて・・、私、クネクネした虫が苦手なんですよ。
発見すると、殺すこともできず・・バルコニーの盆栽梅に付けたりして放置。
寒さで死んでしまうでしょうから・・殺すようなものですが><

私には、昆虫は育てられない・・

恐らく、野鳥が目ざとく見つけて、食べてしまうかもしれません。
生まれて間もなく小鳥の命の糧となる、青虫ちゃんでした。

青虫ちゃん、ごめんね、
小鳥さん、どうぞ・・
という複雑な思いで、放置。

ところが・・突然ですが!

9日の夕方、西日の当たる台所で夕飯の支度をしていたら、目の前を白いモノがヒラヒラ!
なんと、モンチロチョウが舞っています。
一瞬、私の脳がおかしくなったのかと思いました。
いよいよ見た?幻覚?錯覚?・・瞬きすれば消えるの?とか思いました。
真冬にモンシロチョウなんて・・ありえない。

けれど、西日に照らされた白い羽に、黒い紋がふたつ(笑)
ヒラヒラ~♪

目の前を舞いながら、換気扇に留まったので(吸い込まれたのか(^^ゞ)
そっとつまんで、観葉植物の葉の上に乗せると、大人しくとまっていました。
まだ羽がシワシワで・・産まれたての蝶々のようでした。

たぶん、キャベツに付いていた青虫ちゃんが、必死の思いで移動して、
台所のどこかでサナギになって、越冬するつもりだったのでしょう。

暖房する季節になり、部屋の温度が温かく保たれて、羽化したのでしょう。
ありえる、と思いました。

今、外に出したら、寒さで死んでしまいます。
とりあえず、観葉植物の葉にしがみついていたので、そのままに。
翌日、お花屋さんで、バラ咲(八重)のジュリアンを1鉢購入してきました。

ポップコーンの入っていたプラ容器に、スッポリ入れてみました。
口のところは、台所で使う生ごみネットでふさぎました。

20150113b.jpg

ネットで調べたら、モンシロチョウのエサとして、
薄めた砂糖水や、薄めた蜂蜜、ポカリスエットなどを
脱脂綿に湿らせて、挿しておくと良いとか書かれてありました。

20150113c.jpg

なんだか・・いいもの見つけた気分です。
妙に愛しい気分です(笑)

モンシロチョウは、羽化して2週間前後で寿命を迎えるそうです。

こんな時期に蝶々と出会うなんて、何かイイコトあるかな~と、
ネットで蝶々を調べていたら・・

伝説は、不吉なコトばかり(^^ゞ
早春の蝶を見ると、家族に死人が出るとか・・
ギョ!なんなの・・今、早春かしら???

気になって、早春とはいつか?を改めて調べると、2月か3月の頃だそうで。
とりあえず、今は1月だから、ホッ・・。

20150113a.jpg
ダメもとでモンちゃんを育て始めましたが、今日で5日、生きています。

羽が大きくなったような・・眺めていると、情が移ってみょうに可愛いモンです><

占いによりますと、早春に舞う蝶を見たり、初夢で蝶を見たら、「生活に変化の兆しあり」だそうです。
この場合の早春は、正月も入る、ということで(笑)
去年あたりから、そろそろ実家へ帰ろうか~と話し合っていたので、実現するのかも(笑)

なんとなく、心が軽くなるような訪問者です。
どうぞ、今年も平和で穏やかな年になりますように(^-^)


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きくの脱走予防のために -ペットガード付収縮ゲート-

ひと月以上も、更新の間が空いてしまい(^^ゞ
もう冬ですね。
しかも、もうすぐクリスマス。
そして来月は新年。

早いなぁ~もう新年かぁ~。

新しい年。
新しい・・と言えば、先月!
きく&みみのために実家のジャバラゲートを新しくしました。
念願の、ペットガード付収縮門扉です。
近い将来、終の棲家となる実家で暮らす予定ですが、それまでに少しずつ、
小さな娘ッ仔たちも安全に暮らせる環境にしておかないといけません。

実は過去に2回、きくに脱走されて寿命を縮める思いをしました。
あの日から、新しい門扉とゲートをいずれ新調しようと思いつつ、
ようやっと新調致しました(笑)

これで安心して野放しできます。
いえ、庭放し(^^ゞができます。

ちなみに、きく脱走の話はこちら↓
http://minishunagarden.seesaa.net/article/298439453.html
こちら、旧ゲート↓4mくらいの入口には、中央で開く両開きゲートがありました。
時に、均等に閉めない時は、伸ばしすぎた方のジャバラに、すり抜けられる隙間が。
体をよじってホフクすると、安易に脱走できることが解ってしまい・・・><
img_1182746_36283266_8.jpg
ちなみに、きくはホフクが得意です><
ミニシュナの本能でしょうか。
もともとミニシュナという犬種は、農場の番犬用に改良した犬らしく、
納屋や畑に出没するネズミやモグラを捕獲(退治)してくれたそうです。
その真面目な働きっぷりには定評があったようです。
--------------------------

では、リフォーム前の収縮ゲートとリフォーム後の新しい門扉とゲート↓
gate01.jpg


きくちゃん、
もう、脱走する勇気があっても、その隙間はありませんからね。
私達人間が、門扉やゲートを閉め忘れない限りは(笑)

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紅葉を見に行こう

今日は、隣県の実家へ。
ちょっと気になる実家の庭の、
花木の様子を見に行きます。

モミジは紅葉してきたかな。

我が家のバルコニーのモミジは、
少し紅葉し始めました。

紅葉を見に行こう

紅葉を見に行こう

遠くへ行かなくても、紅葉狩りができますね。

今日は、実家へいく道中も、秋の風景が楽しめます。
あの子は紅葉してるかな・・


星空&きくみみ、可愛い画像を作りました(#^.^#)
今日の記事から、コメント承認制にしました。
コメントは管理人がログインしたら表示されます。
オフコメのままがいいって人は、
★非表示希望!と文頭に書いてくださいね(^^)v



9月の風は又三郎 -実家にて、芋ほりワンワン日記-


 


毎日が早いなー(^^ゞ

暑い暑いと思っていたら、もう9月も中旬です。

 


イメージ 1 そういえば!

 

9月上旬、実家へ行った時のこと。

不思議な風が吹いていました。

 

とても、とても、不思議な風でした。

 

ちょうど、東京へ帰る直前の、

母が家庭菜園で実ったサツマイモを持って行けと言うことで、

畑へ行き、夫と掘っていた時。

私は、きくみみを連れて、車中で粗相をしないよう、

散歩に行きかけた時でした。

 

あれが二百十日の風だったのでしょうか、

私達を優しく包み込みました。

 

枯れ葉の神様が、私達を眺めながら笑っていたのかもしれません。


では、ここから美月のファンタジーな世界へどうぞ!てか(^^ゞ

 

~きくを見ていた、風枯れ葉の又三郎~

(画像をクリックすると拡大して見られます)


 

その日の夕暮れ時は、

日中の厳しい残暑を忘れさせるような、

涼しげな風が吹いていました。

 


イメージ 2 

 

枯れ葉風は、どこから吹いてくるのか、

きくとみみの伸びかけた耳の毛をなびかせていました。

 

サツマイモ堀りを見ていた、きくは・・

 

イメージ 13

 

「わたしにも掘らせてください」

と言いたげなそぶりをしました。

 

イメージ 14

あたかも、掘りかたが素人臭いと言わんばかりに、

夫と母の間に割って入り込み。

 

イメージ 15

 

いかにも。

 

しかも、

オイモの数を数えているような、きくの後姿には、私も驚きました。

1個以上あることは、きくにも解ります。

犬は何個まで数えられるのでしょう。

興味深いことでありますが・・

 

イメージ 3

きくが、なかなか移動しない理由は、

このあとすぐに解りました。

 

イメージ 4

 

母は、私達に持たせる大き目のイモだけを選んで、バケツに入れていました。

 

落ちているイモ・・それは、

小さいので畑に置いていこう間引いたイモでした。

が!

きくは、そのコイモが気になってしかたなく。

 

イメージ 5

 

きくは、間引いたイモまで、バケツに入れていました。


 

涼しげな風枯れ葉は、きくを応援するかのように、

耳の毛を振り乱させ・・

あたかも、

今はあるのか解りませんが、私の子供の頃は新築の家が建つ時、

建前の時(棟上げ)に大工さんが屋根から餅やお菓子を投げる風習、

あの時の、餅を見上げて待ってる子供、

というより、

前掛けを広げて構えていたオバサンのような気迫。


 

是が非でも取るぞ!取ってやる!

を思い出させる気迫が、

乱れた耳の毛に漂っていました。

 

(コイモをバケツに入れるしぐさは、

きくにしてみれば、

ボールをおもちゃ箱に戻すしぐさの応用でした。

それ自体は難しいことでもなく、不思議なことでもなく)

 

ただ・・

 

イメージ 12

 

きくの周りのコイモは、

すべてバケツに入れられてしまい・・

 

根のようなイモさえも欲しがる、

きくの小さな頭が妙にいじらしく思えてきました。

餅が頭に当たっても泣かずに、拾うことを諦めずに、

1つでも多く貰おうとする健気な子供のように見えました。

 

捨てるのも忍びなく、持ち帰ることに。

 

きくを待っていたみみは、シビレを切らして、

私を見上げクンクン鳴き始めました。


 

みみは畑に来た時からオシッコをガマンしていました。

ここでやってはイケナイと、

みみなりに感じていたのでしょう。

 

イメージ 6

 

きくは、私に引っ張られて、

畑を出ました。


 

イメージ 7

 

落ちてるコイモを見つけ、


耳の毛を引かれる思いで・・

ではなく、

(短い)後ろ髪を引かれる思いで。


 


イメージ 8

 

きくが見つめていた先には、

農家の、本格的なサツマイモ畑がありました。

 

その時でした。

 

天高く、波打つような雲が目に入り、

ぴゅーっと吹いた一筋の風が光ったような!

 

枯れ葉 枯れ葉 枯れ葉

 

(画像をクリックすると大きくなります)

イメージ 11

 

そういえば!と、

風又の話を思い出しました。

 

ちょうど、そんな季節なんだー、と実感。

 

そして!ビックリ!

 

イメージ 9

 

 

マントのように翻った雲が!

 

イメージ 10

 

風の神様が飛んで来たのか枯れ葉

枯れ葉帰って行ったのか解りません。枯れ葉枯れ葉

でも、そこに来たのも、立ち去ったのも、確かでしょう。

 

きくを眺めて、笑いながら去っていったような風の神様、

不思議な不思議な空の光景でした。

 

おしまい。

 

枯れ葉枯れ葉枯れ葉

 

 

どーか、みなさま、

この空は~雷雲か竜巻か、ふつーの秋の雲だよ(^^ゞとか言わないでくださいな((笑)))))

 


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プロフィール

美月

Author:美月
家族は、夫と母と愛犬3匹、愛猫3匹、熱帯魚。
2015年春まで都内在住。
2015年春から隣県の実家暮らし。

2017年秋、放置気味のブログをこちらに移行して、ワンコ日記を再開。
再開のキッカケは、きくみみに、弟分(たび)ができたから。

ガーデニングブログも、こちらに移行しました。

【主 now The きくみみ&たび】とは、
【シュナウザーきくみみ&たび】
主人公(主犬公?)は愛犬たちという意味です(^^)

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注)
2017年10月以前の記事のページは、3つのブログがこちらに移行されていますので、
記事内容のダブりがあります。
少々ウザイ状態ですが(^^ゞ
リンク先が不明ページも(ここに移行して載せていますので)実は、あるのですょ。


猫の創作話は【駒吉(愛猫の名前)】で綴っています。

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